mumeimaru's diary

読書、宗教、日々の思索。あちこちにぶれる日記です。

菩薩は、願望から生まれた物語に過ぎない

 よくわからないのが、菩薩と仏の違いである。

 仏が最終解脱者であり、菩薩が最終解脱を前にしてあえて修行者のレベルにとどまっている段階というくらいのことはわかる。例えて言えば、仏は成仏の有資格登録者、菩薩は資格取得はしたけれど、有資格者としての登録手続を保留している者と言えるだろう。有資格者にならないのは、資格取得に励んでいる同類の元にとどまって、未熟者のために無私の奉仕を誓ったからである。自らの成仏を先延ばしにしても、利他の精神を貫く姿勢は、確かに尊敬されるに値する。それに比べると、一人修行の完成を目指して修行に励む阿羅漢は、どこか小っちぇー感じがしないでもない。

 大乗仏教では、ことに菩薩様は仏と見まがうばかりの立ち位置に置かれている。法華経に出てくる地涌の菩薩なんてのは、釈尊ですら青臭い若造に見えるくらいだ。

 

 ちなみに、「菩薩」という概念は、仏教創設の初めから確固とした基盤があったわけではない。そのあたりの平明な解説は、中村博士のバウッダに詳しく記載されているので、以下引用する。

 「初期仏教の時代でも、当初からその前半までは、『菩薩』の語は存在しなかった,

というのが、今日の学会のほぼ一致した定説であり、それを立証するのが、往時彫刻されてそのままに伝えられる後述の碑銘である。」

 

 「前述したように、彫刻には、しばしば碑銘がある。『菩薩』の語に関連して、最も注目されるのは、パーナフトの塔門と欄楯であり、そこには『仏伝』の一部すなわちブッダ(釈尊)が兜率天を下り、マーヤー(摩耶)夫人が入胎する場面が刻まれていた。

 

 世尊入胎す(バガーヴァード・ウークランティ)

 

 とのみある。さらに、そのブッダの出家の直後を示すものには、『世尊の髻の祭り』と彫られている。(これらの場面は、仏伝としてはかなり進んだ段階の物語に属する。)。付言すれば、バールフトの彫刻には、右のほか約十五景の仏伝図が見えるという。また、おそらくそれよりも古く、アショーカ王ルンビニー園に建設した仏塔の碑文にも左の語がある。

 

 世尊誕生す(バカヴァン・ジャーテー)

 

 以上の碑文の彫刻には、『世尊(バガヴァン)』とあって、決して『

菩薩』とは言わない。このことは何を物語るのか。」(中村元・バウッダP202-203)

 

 この碑文は、釈尊が成道する前の事績を記したものである。つまり、

成道前の人を呼ぶ呼称としては、世尊(仏)という用語は不適切であり、本来であれば単に「ゴータマ・シッダッタ」と明記すべきである。しかし、尊いお方を俗称で呼び習わすわけにもいかず、世尊という表記が使われることとなったのである。もし、仮に菩薩という言葉が当初からあり、広く周知されているとしたら、このようなあり得ない表記になるわけがないはずだ。 

 

 上座部仏教では、仏にはなれない。出家者の一部がせいぜい阿羅漢になれるくらいであり、非出家者は阿羅漢にすらなることはできない。成仏から締め出された庶民が、釈尊そのものよりも、釈尊の修行時代に自分を重ね、菩薩としての釈尊に傾倒していくのは自然の流れだろう。

 そして、次第に菩薩に対する憧れは、菩薩を仏に近い存在までに神格化し、阿羅漢以上に仏法に精通した庶民の星としての地位を付与する。それは苦しむ者のおとぎ話であり、自己憐憫に催された弱者のいじらしい物語である。

 

 創価学会員は、「私もあなたも地涌の菩薩」ということを、一時的にせよ本気で思い込んでいる。菩薩になることによって、世界が変わらずとも、自分が変わらずとも、菩薩となった自分を起点に世の中を、あるいは自分を見れば、違った物語が見えてくるからである。未熟や無学や不幸は瞬時にして仏に近い証としての意味に変わり、錯覚の中で、煩悩即菩提が都合良く消化されていくのだ。

 それは他人が生み出した物語に、自分の物語を接ぎ穂するにすぎないだけで、いずれ現実は、容赦なく脆弱な幻想を打ち砕くだろう。その時こそ願望は逃避から生み出され、今ある生とはいかなるかかわりも持たないことに気づくはずだ。

 いかなる物語も排除して、現実をありのままに受け止めることは、自由を生きる大前提だ。菩薩様は、願望から生み出された物語に過ぎず、かようなものに執着してはならない。





自我の終焉 クリシュナムルティー 第二章

章題 われわれは何を求めているか

 

  -「神」を発見する旅に出る前に、まず自分自身を理解すること-

 

曰く 

 この場合、まず私たちがしなければならない問題は、自分の意図を自分の心の中で明確にすることではないでしょうか。これが一番難しい問題なのですが。

 

 何か恒久的なものを探し求める前に、まずその探し求める当の人間である「私自身」を理解することが必要なのではないでしょうか。

 

 それでは、この求めている人と、求められている対象とは違ったものでしょうか。「私は幸福を求めている」というとき、求める人とその対象とは別々のものでしょうか。また考える人とその人の考え-思考-とはちがったものでしょうか。それらは別個の過程というよりはむしろ、一つの一体化した現象ではないでしょうか。

 

 自分自身を追求し、その思考がどう働いているかを知るためには、私たちの心は並外れて鋭敏でなければならないのです。

 

 あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきり物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしない川のようなものです。

 

 神を信じる者にとって、探すべき対象は神である。

 神を信じていない者も、対象が違うだけで大抵は神以外のものを追い求めているはずだ。幸せ、賞賛、承認、愛情、金銭、恋人、お金等々。数え上げればきりがない。

 しかし、考えてみれば追い求める幸せにしても、絶対不動の理想形があるわけではなく、その人の置かれた環境や生きてきた軌跡によって、造られる形は違うものである。幸せ一つを取ってみても、家族に囲まれることが幸せと思う者がいれば、家族の桎梏から逃れられることを幸せと思う者がいるように。

 であれば理想全般に言えることだが、その追い求める対象が生じてくる由来は自分自身であり、理想とは自分自身が寝ている内に見る夢、幻と変わるところはない。それなのに我々は、夢幻である理想と自分を引き当てて、多くは落ち込み、まれに喜ぶという空虚な往還を繰り返しているようである。

 

 これは実に不思議なことで、夢や理想を神聖視すればするほど、自分自身は足りない者、劣った者、不完全な者と対置されることになる。夢も理想も自分が作ったにもかかわらず。

 もし、ロボット技術者が理想の神ロボットを作って、技術者自身が神ロボットに額づくとしたら、誰が見ても奇妙に思うであろう。しかし、既に国や会社や諸々の集団に額づく個人は、ある意味神ロボットに額づくロボット技術者に近い。

 

 では、思考はどうだろうか。

 

 思考こそ己自身であることを受け入れている者にとっては、思考と思考を生み出す己とは一体不二であるから、思考が自我の統率者になることに違和感を抱く余地はないだろう。

 

 しかし、クリシュナムルティーはその自明の理とも言える考え方に、痛烈な異見を照射する。

 

 「それらは別個の過程というよりはむしろ、一つの一体化した現象ではないでしょうか。」

  

 苦悩という観点から考えると、個人を苦しめる諸々の事象は、苦しむ個人その人が生み出しているということになる。苦しみに立ち向かうにしろ、苦しみから逃げ出すにしろ、そのシステム自体は本人が絶えず取組み、永らえさせている営みに過ぎない。神ロボットを作る行為そのものが、神の存在を永遠ならしめる行為になることと似ているではないか。

 

 苦悩という思考の結果から「離れられない」のではなく、「離れない」のだとしたら、神ロボットに額づくロボット技術者とどこがどう違うのか。五十歩百歩と言われても仕方あるまい。

 

 さて、苦悩と向き合う正しい作法はあるか。もし、あるとしたら苦悩という夢、幻ではなく。夢幻をみている自我そのものを探求する必要があるというのが、第二章の趣旨である。 

 

 

自我の終焉―絶対自由への道

自我の終焉―絶対自由への道

 

 

 

 





認知心理学入門 仲真紀子編

章立ては以下のとおり。主題よりも副題の方が中身にマッチしているので、副題の方を記す。今後さらに探求すべき事項については、太字にした。

1 視覚と視環境

2 聴覚と言語音声と音楽

3 感覚と時間知覚

4 短期記憶・ワーキングメモリ・自伝的記憶

5 記憶・知識・学習

6 会話・発話・面接法

7 書くこと、考えること、生きること

8 思考と問題解決

9 使いやすさと認知心理学の関係

10 メタ認知による心の制御

11 感情と認知

12 動物の認知行動

 

 

 認知心理学は、自分取説作成法と言っていいのかもしれない。我々が持っている認知や思考は、想像以上に条件づけられ、偏狭であり、不十分である。

 そもそも人の認知に完全性はないと言えばそれまでだが、完全でないことを深く自覚することは、生きる上での無用な誤りを、格段に減らしてくれると思われる。特に宗教や賢人偉人の言葉に依らず、自分で発見することを生きることの本質にしたい人は、自分の中にある心理機構がいかにして成り立ち、いかにして維持されているかを知ることは有用であろうと思われる。

7 書くこと、考えること、生きること

 リテラシー(読み書き能力)の習得が、精神活動の再構造化を促すという視点(ヴィゴツキー)は重要だ。リテラシーは、単に知識習得のツールになるだけではなく、思考法そのものを絶えず更新していく力を持つ。IT知識の多寡によって生じるジェネレーションギャップは、基盤とするリテラシーの差であろうし、文系と理系でなんとなくそりが合わないのも、リテラシーの違いだろう。

 自分リテラシーは最も重要である。そのことを物理学者遠藤誉の執筆活動を通じて紹介している。遠藤誉のチャーズ、フランクル夜と霧は必読だ。心に傷を負う方は、必ず自分に向き合うヒントを得られると思う。自分リテラシーの獲得は、フランクルの実存分析に通じるものがあるようだ。

8 思考と問題解決

 結構壮大なテーマだ。進化心理学からの考察に触れられており、問題解決思考が人の進化にも影響を及ぼしたことがわかる。ヒューリスティック、メンタルモデル理論の概念は押さえておきたい。

 

10 メタ認知による心の制御

 外部に表象される人の活動全般を絵だとすると、絵の背景にある地のようなものがメタ認知だ。メタ認知は、種々のリテラシーによって更新されていく。脳科学の知見とも照らし合わせていく必要がある。本書では軽くしか触れられていないので、類書本を渉猟する必要がある。

 

11 感情と認知

 後天的に認知の質を変容させる要因として、感情の機能は重要である。感情のコンディションによって、認知は向上もすれば劣化もする。ストループ効果、情動ストループ効果、注意バイアスを理解することは、学習能力の質を高める上で役に立つだろう。

 

 各章に、レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーが度々登場する。私は全く知らなかったが、心理学界のモーツアルトとも言われ、近年評価も高まっているようである。チェックしておきたい人物だ。  

 

 

ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書)

ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書)

 

 

嘘つき

 これも命こそ宝(阿波根昌鴻著)から。

 

 「当時、子ども心にどこかおかしいと思ったことがあります。役人や学校の先生とか偉い人たちが村に来て、農民をうんと誉める。みな農民は国の宝だというのです。農業は国のもと、農民がいなければ人間は生きていけない、仕事の中でいちばん尊い、素晴らしいのは生産、農業であるという。わしは父に連れられて、一度そういう話を聞きに行ったことがある。」

 

 「そのとき、ある年寄りが講演した先生にこう質問したですよ。うちの部落は儒教の塾もあったところですから、その人は前に出て最敬礼して、『いまのお話では、この世でいちばん立派な仕事は農業であるというお話でありましたが、先生は自分の息子さんも嫁さんも、みんな農業をさせるお考えでありますか』、そう訊いた。そうしたら、この先生、顔を真っ赤にしてもう返事ができなかうった。」

 

 ガンディーは、インド独立の父としてつとに有名だが、もう一つの顔はカースト制度擁護論者でもあった。ガンディー自身はクシャトリア出身の弁護士だ。彼は、不可触民のことを「神の子」と呼んで褒め称えたが、当の不可触民たちはそのような言葉の綾を嫌悪し、実のない美称を返上した。不可触民出身のアンベードカルは、生涯ガンディーに立ちはだかる政敵として、ガンディーの偽善を追求していくのである。

 

 思い上がった人間の猫なで声に耳を貸してはいけない。彼らは、言葉だけで不公平の代償をチャラにしようとしているのだ。

 

 

 

小堀啓介から宮崎政久へ

 宮崎政久は、普天間飛行場が所在する沖縄県第2選挙区から立候補し、議席を託された占領、いや選良だ。彼は普天間基地県外移設を高々と掲げ、平成24年の衆議院選挙で当選(選挙区で落選、比例で復活)したが、1年も経たずに県内移設に舵を切った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%94%BF%E4%B9%85

 

 かれの師匠は、小堀啓介という人物で、阿波根昌鴻著「命こそ宝」でも紹介されている。その部分を紹介しよう。

 

 「政府が考えた次の強制使用の手段は「米軍用地収用特措法」(略称)という法律でありました。これは51年の安保条約締結にともなって、米軍基地を提供するために作った法律で、何十年も適用されたことがない、死文同様の法律だったそうであります。これが沖縄でよみがえった。80年秋になって、那覇防衛施設局は、153人の反戦地主に対して、この「特措法」による強制使用の手続きを開始しました。」

 

 「この法律では、那覇防衛施設局沖縄県に土地収用を申請し、これを沖縄県知事が任命する七人の委員で構成された沖縄県収用委員会が審議して採否を決めることになっております。審議するとはいっても、収用委員はすべて西銘保守知事のときに任命した委員ですから、防衛施設局の言うとおりに強制収容を決定することは最初からわかりきったことでした。」

 

 「しかも、委員会の小堀啓介という人は、かつて米軍占領時代に、伊江島のキジャカ部落41戸を強制立ち退きさせた「功労者」であります。地主が意見を述べられる唯一の場は「公開審理」でありますが、最初にその「公開審理」の場にでたとき、わしは県収用委員会の会長を見て、気がつきました。米軍に協力して強制的に立ち退きさせた人にそっくりである、名前も同じである。それで、その場でわしは質問した。キジャカ部落の強制立ち退きに関わった小堀さんかどうか、ご返事いただきたい、違っていれば否定していただきたい。しかし、全然答えない。これは当人に間違いないと確信しました。あとで念のため調べましたら、やはりそうでした。こんな委員会でありましたから、中立のはずはない。」

 

 賢人の後継は常に難産を伴うのに、どうして悪人の系譜は、こうも華やかに連綿と続いていくのだろうか。下層民の忘れやすさは、悪人を培養する温床のようなものかもしれない。彼のような人物が、選挙という真っ当な方法で国民から選ばれ、権力を握る様に背筋が寒くなってしまう。たぶん、民主主義というシステムは、致命的な欠陥を宿しているのだろうと思う。

生の全体性ーJ・クリシュナムルティー

これを体感することができるだろうか。

 

 「そこで生を、ばらばらでない、全体的で、継続的に流れる全的な運動として、観察してごらん。『継続的に』と言っても、それは時間的な意味においてではない。ふつう、『継続的』という言葉は時間をその裏に含んでいる。しかし、時間的なものではない継続性も存在する。われわれは、過去と未来のあいだの関係を分断することなく、ひとつの継続性として考える。それが、一般に継続性という言葉でわれわれが理解しているものであり、それが時間的なものである。時間は運動である。その終わりに達成されるべき理想をもって、幾歳月をかけていく時間的距離である。時間とは思考を意味している。」

 

 クリシュナムルティーは、不思議な人だ。難しい言葉を一切使わずに、悟性の高みをありありと示しているように見える。理解できない言葉は何一つないのに、示唆する内容には、いつもたじろがされる。

 

 「眼を動かさずに観察することだ。というのも、眼を動かせば、思考する頭脳が完全にはたらき出すからである。そこには歪曲が生まれる。眼を動かさずに何かを見つめてごらん。そうすれば、頭脳がどれほど静かになるだろう。眼だけではなく、自分の注意、自分の愛情をもって観察してごらん。注意や愛情があれば、観念ではなく事実を観察するようになる。注意、愛情をもって{あるがまま}に近づくようになる。そのあかつきには、判断、非難はいっさいなくなり、人は対極をなすものから解放されるのである。」

 

 心に留めておく。

 

 

生の全体性

生の全体性

 

 

命こそ宝 沖縄反戦の心

前著「米軍と農民」からおよそ20年後の著作である。

憤然たる心象から紡ぎだされた前著とは打って変わって、
20年という闘争の歴史が、俯瞰的に、あるいは達観的にまとめられている。

 

命こそ宝―沖縄反戦の心 (岩波新書)

命こそ宝―沖縄反戦の心 (岩波新書)

 

 貧困の中で命を晒しながら進めてきた運動も、

軍用地料の支払いという飴の前では徐々に力を失っていく。

 

「復帰後まず、日本政府が地料を大幅にひきあげましたから、生産の何倍、ところによって何十倍という軍用地料がくるようになった。それに、農産物が安くなって諸物価が上がった。復帰してしばらくの頃のことですが、伊江島全体のサトウキビ作の収入は年間四億円、軍用地料による収入は七億円でした。金だけをいえば、契約した方がずっととくだ。」

 

 米軍基地反対の声が小さくなっていく中で、土地闘争の中心人物である阿波根昌鴻に対する嫌がらせも起きてくる。阿波根の運動が、せっかくありつけた甘い蜜を台無しにするかもしれないという恐れからだろうか、それとも蓋をしておきたい自らの罪悪感を刺激するからだろうか。当事者ではないから、軽々に批判できない面はあるが、一つだけはっきり言えることは、人の心を変えるほど、金の力は凄まじいということだ。

 

  「ただ、一人でも最後まで耐えるなら、勝利は絶対確実である。」

 

 

 反戦地主総会で、阿波根に言わしめた言葉だ。勇ましい言葉の裏には、急速に脱落者が生み出されていった焦燥感が読み取れる。それでも阿波根は、「安保に風穴を開けた四日間」のあと、「わびあいの里計画」、「反戦平和資料館」づくりに邁進する。むろん政府も黙って反抗を野放しにするわけがなく、悪名高い米軍用地収用特措法を発動して、阿波根始め反戦地主を窮地に追いやっていく。

 

 「前の公用地法による強制使用のときは、軍用地料にみあう損失保証金が毎年算定さ  れたのですが、今度は五年という長期の強制使用を決めておいて、そして五年分の損失補償金をいっぺんに払うという方式が強制されたのでした。

 それでどうなるかというと、まず、年ごとの土地の値上がり分はまったく加算されない。つまり、契約地主は土地料が毎年あがるが、反戦地主はその時点での土地料のみを基準とする五年分の一括払い。」

 平たく言うと、契約地主は年ごとの分割払いで毎年契約料が上がり、反戦地主は五年分を一括で支払うということである。それは毎年の値上がり率が反映されないだけでなく、税金面で差が生じるということでもある。むしろ実際には、税金面での差別の方が経済的ダメージは大きく、後日阿波根は、国に対して税金の還付請求を申し立てることになる。総額にして3386万3000円、最終的には最高裁で敗訴が確定する。

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-85954-storytopic-86.html

 

 裁判の中身には立ち入らないが、反戦地主の過酷な状況の一端は感じられるのではないだろうか。

 

 さて、本書から再び約20年の歳月が過ぎた。伊江島が、かつてのように反基地闘争のシンボルとして、新聞紙上を賑わすことはもはや皆無といっていいような状況がある。伊江島は、県内でもちょっとハイグレードなリゾート地だ。米軍基地でさえ、平和学習という偽善的な宣伝の下に、県内外の学生らを呼び込むことに貢献している。

 平成25年12月21日、私は反戦平和資料館を訪れた。展示状況は、本書に記された内容どおりである。それに加えてはっきりと感じられたのが、風化の痕跡である。さして広くない館内に漠として存在したのは、物質的な劣化のみではなく、確かに時代から取り残されつつある阿波根の精神であるように感じられた。

 

 反戦平和資料館を訪ねてきた「アメリカ・インディアン」の婦人に、阿波根が語りかけるくだりがある。

 「独立運動はいい、独立もいい、だが独立した後、しっかりとした指導者がいないとかえって悪くなってしまうこともあるから、うんと注意しないといかんよ。」

 

 1946年3月22日に沖縄は、アメリカの施政権から脱し、祖国へ復帰する。いよいよ基地のない島づくりへ邁進するかと思いきや、待っていたのはより強力な基地化政策であった。

 

http://sankei.jp.msn.com/region/news/131221/okw13122113230002-n1.htm

 

 風化を許さないと口でいうのは簡単だ。いかに悲惨な体験であろうと、私たちは日々生きることの辛さ、苦しさに晒されているので、もはや具象性を持たない過去の他人の苦しみは、時折思いをはせて瞑目するのがやっとであろう。

 しかしながら、今起きていることの大半は、過去に繰り返された愚行の焼き直しである。そのことを忘れなければ、阿波根を始めとする先人たちの奮闘は、同じ轍を踏まないための教訓として、今を生きる者たちへ、眩しいほどの光を投げかけることだろう。